マックとアーセナルはちらりと視線を交えた。依頼を受けるか断るか、一瞬のアイコンタクトにその答えが導き出される。

「……お兄ちゃんがいなくなる前の日、俺に言ったんだ。悪い犬に気をつけろって」
「悪い犬?」
「何のことかはわからない。けど、それが何か関係してるのかなって      

 ガシュッ、とオレンジジュースの入ったグラスが砕けた。飛び散った液体とグラスの破片が辺り一面に広がる。一瞬、何が起こったのかわからない三人は呆然とその上に目を落とす。同時に音を立てて、次に砕けたのはマックの頼んだコーヒーカップだった。「何やねん」とマックが顔をしかめると、アーセナルは次の瞬間には上を向いて周囲のビルを確認している。高い建物自体はそんなに数のない場所で、砕けた欠片の飛び散った方向からひとつのビルに当たりをつけた。

「マック、狙撃されとる」
「は?ちょ、隠れな!」
「もうおらん。人影が動いていった」

 店員が慌てて駆け寄ってくる姿に、さてどうしたものかとマックとアーセナルは深い溜め息を吐いた。








「こんにちはー」

 店の重い扉が開いて、間延びした声が響いたのは15時を少し周った辺りだった。開店の準備にはまだ少しだけ早いその時間、それぞれが各々の時間を過ごしている。窓のないホールは昼でも明かりを点けなければ薄暗く、小さく灯されたカウンターの明かりの元、起き抜けのエースがテキーラを呷っていた。

「なん?店まだやってへんで」
「あの、昨日ここに財布忘れちゃったみたいで、連絡貰ったんですけど」
「あぁ、あのカモか」

 莫迦にするように薄く笑みを浮かべたエースは、店の奥に向かって「おい、昨日の財布どこやった?」と誰かに叫んだ。

「これ、ありきたりで申し訳ないんですけど、お礼に」

 ミスタードーナツと書かれた箱が二つ、エースの前に差し出される。昨日のマックの顔を思い浮かべながら、こいつどんだけミスド好きやねん。と素で笑ってしまった。

「そらどーも。ありがたく貰うわ」

 本人の目の前でがさりと開けたその中からドーナツをひとつ取ると、ばくりと噛りつく。店の奥からは「なに?」と面倒そうに出てきたジョニーがを見つけ、軽く頭を下げた。口いっぱいにドーナツを含んで「こいつの財布、どこやったっけ?」と話すエースに片眉を上げて「ちょっと待ってて」と残し、ジョニーは再び店の奥へと消える。二つ目のドーナツを手に取って、じっと自分を見るエースの視線には何処かぎこちない笑みを返した。

「自分、よく見たら綺麗な顔しとるな。格好ダサいけど」
「え?ダサっ……」
「シャツもそんなんボタンきっちり留めんと      

 立ち上がりのシャツへと手を伸ばすと、そのボタンを外す。眼鏡を取って髪に手櫛を通すと、さらさらと流れる感触に「ふぅん」とエースはカウンターに入って蛇口を捻った。濡れた手で再びの髪をくしゅくしゅと揉み、毛先を遊ばせる。人形のようにされるがまま立っていると、にやりと笑ったエースが「ほら、こっちのほうが全然ええやん」と自分だけが満足そうに、三つ目のドーナツを取り出した。

「お待たせ」

 財布を片手にジョニーが戻ってくる。一瞬の間に容姿を変えたに思わず目を見開くと「ええやろ」と何故か横のカウンターでドーナツを頬張っているエースが得意気に答えた。

「……中、一応確認してくれる?」
「あ、はい」

 昨夜と変わりない財布の中身を確認し終えると、は頭を下げて礼を言った。出口に向かって扉を開けるとエースがドーナツを持ち上げて「ごちそーさん」と笑ったので、再び頭を下げて店を後にする。

「あんだけバカにしてたのに、気に入ったん?」

 ジョニーの言葉に「別にぃ」と何処か上機嫌に次のドーナツへと手を伸ばした。




 店を出て数メートル歩くと、細い道で猫に餌を与えているガムを見つけた。美味しそうに食べる猫を優しく見ているその瞳は安心を運んでくる。は「こんにちは」と声をかけた。

「あ、財布取りに来たん?」
「はい。昨日はありがとうございました」
「ええよ。……何か今日、雰囲気ちゃうね」
「あ、今お店で何か色々教えてもらって」

 苦笑するに、へーと返してガムはその姿をじっと見る。

「……変ですか?」
「ううん、全然。印象変わんねんなーて」

 なー、と撫でながら相槌を求めても、猫はただ食べ終わった容器をざらざらと舐めているだけだ。

「猫、好きなんですか?」
「うん。まぁ、ほっとけんっていうんもあんねんけど。は?」
「え?名前……」
「学生証に書いてあったし。嫌やった?」
「……いえ、ものすごく久々に名前で呼ばれたんでちょっとびっくりしたっていうか、えっと、嬉しかったっていうか」

 そういえば友達が出来ないと嘆いていたのは、つい昨日のことだったとガムは思い返す。元の名前を捨ててしまった自分たちも、同じ気持ちになることがこれから先あるのかもしれない。そんなことを考えながら、心底嬉しそうに笑うにつられて口元が上がった。

「何度でも呼んだるよ。は猫好き?」

 「はい!」と思いのほか大きな声が出たのが恥ずかしかったのか、はあははと顔を紅くしてガムの隣へとしゃがみこむと猫の喉元をそっと撫でる。

「良い猫を、探してるんです」

 気持ち良さそうに目を細める猫を優しい掌で包むと、は視線を上げないまま、そう呟いた。

「良い猫?血統種とかってこと?」
「まぁ……そんなとこです」
「そんなん、この子も充分可愛いで」
「知ってます」

 にゃーと返事をするように鳴いた猫に続けて、プッと短く鳴らされたクラクションに振り返ると、ワーゲンバスが邪魔だというように停まっていた。

「じゃあ、ありがとうございました」

 礼を述べて立ち上がると、は車窓越しのマックとアーセナルへもにこりと笑って頭を下げる。

「またいつでもおいで。こいつも待ってるで」

 抱きかかえた猫の腕を招き猫のようにあげて手を振るガムに、は小さく手を振って背中を向けた。





 受けた依頼内容をマックがそれぞれに話すと「なんか、胡散臭い話やなぁ」とジャッキーが写真を見ながら眉をひそめた。

「そのマオって子も命狙われとるってこと?」

 トッポの疑問にアーセナルは「いや」と短く告げる。

「スナイパーライフルやで?あんだけの距離でグラスだけ正確に撃ち抜く腕があんねん。殺るつもりならとっくに殺っとるわ」
「なら俺らへの警告?依頼受けるなって」
「素通に考えたらそやろな」
「で、どないすんの?」

 全員の視線が集まると、マックはテーブルにばさりと銀行の帯がついたままの束を二冊投げ置く。

「前金で二百。成功報酬が三百。俺は受けてもええと思うけど、ま、一応ルールやからな、お前らの意見も聞かんと」
「そら……また破格やなぁ。ますます胡散臭いわ」
「せやけど、まぁ、やってみてええんちゃう?」
「子供の頼みなら尚更、なぁ」
「やね。ってか前金貰ってきとる時点で成立してもーてんのやろ?」
「こんだけの額なら誰も断らんやろて踏んでのことや」

 ふふんと笑うマックに、今回は多数決取る必要もないな、とエースが一箱目のドーナツを空にした。

「エース、どしたん、それ」
「あ?カモがネギの代わりに置いてった」
「なんやそれ」
「あ、が持ってきたん?ずるい!俺にも頂戴よ」
「あと一箱あるわ。それ食ったらええやん」
って昨日のカモ?」

 ジャッキーが問いかけるとすでにカウンターへと向かって手土産のドーナツを漁りながら、ガムは「うん」と頷く。

「あいつもいうんか?」
「も、って?」
「こいつも同じ名前や」

 依頼人の探している兄の写真をひらひらと振るアーセナルからそれを取ると、マックはガムへと渡す。「ん?何で俺?」と疑問を素直に口にするガムにマックは腕を組んで尋ねた。

「似てへん?昨日の財布の落とし主に」
「んん?んー、あー、まぁ、言われてみれば何となく?」
「マック、お前ちらっと学生証見ただけやろ?何でそんなん覚えとんねん」
「は?理由なんて……さっきも外でちらっと見たし」
「俺にも見せて」

 写真を取り上げたエースが「なんやこのピンボケ」と舌を打つ。覗き込んだトッポが「ホンマや」と肩を竦めた。

「でもおかしな話やね。普通、兄貴の写真ならもっとええのあるやろ。なんでこんな、隠し撮りみたいなん寄こすん?」
「失踪してから撮った写真なんやろ。どっかの探偵にでも頼んだんちゃう?」
「そんなら失踪前の写真も持ってくるやろ。これじゃ探すに探せんやん」
「まぁ、また貰いいけばええやろ。それまでとりあえず調べられるとこから調べとこか。ジョニー頼むわ」
「わかった」

 カウンターから持ってきたドーナツの箱を回して「食べる?」と差し出すガムに「いらん」と手を払って、マックは座り込んだソファで掌を組むと閉じた双眸に遠い過去を重ねた。




      




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