夢を見た。
夏の涼しい風が吹く。
遣いの戻りに道場への道を歩いていると、少し離れた後ろから総司が呼ぶ。
と手を振って。
歩みを緩めて、その足音が隣へと並ぶのを待つ。
山南さんがいいものをくれたんだよ、と口に入れたそれがカリっと砕けた。
口に広がる甘い、あまい、砂糖菓子。
もうひとつ、と伸ばした指がぶつかって、零れた金平糖に二人で笑って。

そんな、どうしようもないくらい夢でしかない夢を、見た。






「銀ちゃん、屍が動いたネ」
「だから死んでねぇんだよ」

 薄らと開けた視界は真っ暗で、その中からそんな声がした。
 弁天台場へ向かう途中に新政府軍と戦っていたはずだ。自分の状況を瞬時に思い出し、ははっと息を呑むと勢いよく起き上がる。

(助かってしまったのか、自分だけ……)

 きゅっと握り締めた掌に食い込む爪の痛みが、その現実を思い知れと訴えていた。考えなければならないことは山程ある。陣営の確認、隊士の安否、これからの戦。頭の隅を微かに過ぎった土方の遺体の弔いを最後に回し、まずは自分の今を知らねばと辺りを窺った。
 声は二つ。少女の声に男の声。気配からしても、今この場所にはこの二人だけだ。何も見えない程の暗闇ということは何処かに閉じ込められているのだろうか。が、自分は布団に寝ていて、傷の痛みも      

(傷?私は撃たれたはずだ)

 何発も鉄砲の弾を身体で受けた熱さは確かに覚えている。けれどその痛みが全くといっていい程ない。具合を見るために手探りで身体を触っても、その痕すら感じられなかった。

(まだ、夢から覚めていないのか?)
「おい、気分はどうだ?」
「助けたのは私と定春ネ。礼なら身体で払えや、にーちゃん」
「神楽、三日も寝てた奴に起きていきなりそのノリは通じねぇぞ」
「テレビでは風俗に沈められてたネ」
「うん、それ子供の見る番組じゃないから」

 所々よくわからないやり取りを聞きながら、とりあえず政府軍ではなさそうだと安堵する。ならば礼とこの暗闇の場所を、と口を開くと声の代わりに喉の奥から何かが込み上げた。吐しゃ物で周りを汚しては迷惑だろうと、せめてもの気持ちで両手に受け止めると、それはとろりと指の間をすり抜ける。

「銀ちゃん!血吐いたよ!血!」
「えぇぇぇぇ!?なんで?いきなり?い、医者!病院!」

 ぐいっと引っ張られ背負われた背中の広さが妙に心地よかった。




「どこも全然悪くないよ、身体は至って正常。ただ      

 何らかのショック状態で目も見えてないし、声も出ないみたい。と診断した医者に思わずこいつヤブ医者か?なんて思ってしまう。血吐いたんだぞ!盛大に!……が、発見した時の状態を考えればあながち嘘でもなさそうだと、銀時は溜息を吐いた。最初から不審な点ばかりだ。面倒な奴を拾ってきてくれたなぁ。神楽への恨み辛みを心の中で唱えてから、視線を当の本人へと移す。見えてないなら仕方のないことかもしれないが、虚ろな瞳が表情のない顔にぴったりとはまっていてまるで人形のようだ。なまじ小綺麗な顔をしているから余計に強く感じてしまう。せめて喋りでもすればよかったのに、それすら出来ないなんて。

「ま、何かのきっかけで戻るの待つしかありませんね」

 さらりと云ってくれた医者に、やっぱこいつヤブ医者かも、と銀時はさっきよりも大きな溜息を吐いた。


 問題ないから連れて帰る、と留守番させている神楽に電話を入れて銀時はそのまま受付へと向かう。紙とペンを借りて、待合室の椅子に静かに座る男の横に腰を下ろすと「おい」と話しかけた。

「あー、あれだ。声は聞こえてんだろ?」

 顔を向け首の辺りを見ながら頷く男の手をとると、その手に紙とペンを握らせる。

「勘でいいから、動かして名前書け」

 暫く考えて動かされた手は、ミミズがのたくったような線でかろうじて読める文字を記す。

?読みは合ってるか?」

 こくりと頭を下げたを見て、さて、これからどうしようか。と銀時は両腕を組んで天井を見上げた。横目でちらりと盗み見ると、はじっと何処かを見ている……ように見える。

「……そうなった原因に心当たりある?」

 声のする方向から気配を読んでいるのか、はじっと銀時の方を見つめた後に首をゆっくりと動かした。が、それは肯定の頷きととるには微妙な線。微かに右に傾いたところを見ると、思い当たりがあるようでない。いや、ないというよりわからない、という所だろうか。真剣に悩んでいる様は先程よりも表情が出ていて、銀時は少しだけ安心した。

「お前、三日前にかぶき町に血だらけで倒れてたんだよ。それを神楽が拾ってきて。あ、神楽ってのはさっきの小娘な。でも血だらけのわりには何処も怪我してなくて。何があったか覚えてるか?」

 覗いた瞳が揺れたのを見逃さず、その答えを待った。



 箱館にカブキチョウという場所はあっただろうか?記憶にはない。そも、自分が居たのは一本木関門のはずだ。身体の傷の事といい不可解な事が多すぎて、の思考は現状に追いつけないでいた。やはり私はすでに死んでしまったのか?そんなことを考えてしまう。浄土の世界など行ったこともなければ、その詳細を聞いたこともなく、これがそうだと云われればそうなのかと思う他ない。
       なんて、そんな莫迦な。は無意識に頭を振ると、渡された紙へと矢立を動かした。

「何?なんて読むの?はこかん?はこやかた?知り合いの名前?」

 違うと首を振った後に”五稜郭”一本木関門”と書くと「いや、全然わかんねー」と返される。うまく通じないことがもどかしい。目が見えない上に声を出せないなんて不便で仕方ない。が、ふと日野にいる為次郎のことを思い出し、気持ちは落ち着いた。あの人は見えない目でもあんなに穏やかに世界を見ていたではないか。どうか加護を、と願いながら小さく深呼吸をしてカブキチョウは何処かと書いて尋ねた。

「は?かぶき町はかぶき町だよ。何?どっかの田舎から来たの?でも江戸のかぶき町くらい知ってんだろ?この国の首都みたいなもんだし」

 江戸。やっと出てきた慣れた地名を嬉しく思ったのも束の間、カブキチョウという存在も知らなければ箱館にいた自分が何故江戸にいるのか、疑問は募るばかりではぎゅっと矢立を握った。何もかもがおかしい。けれどその正体はわからない……いや、解ろうとしていない、解りたくはない自分がいる。
 微かに震える指先を否定するように矢立を握り直した。ゆっくりと僅かな望みを託して書いたそれは、迫り来る例えようのない不安に負けることなく、上手く文字になってくれただろうか。

      新選組?何?お前、あいつらの仲間なの?」

 跳ねた心臓が耳に障る。

「ああ、でもそれ、字間違ってるぞ」

 動いた指に触れた紙が、かさり、と乾いた音を立てた。




      





101209