しとしとと降る小雨の中、小走りで屯所の門をくぐるとその隊士は土方の部屋へと向かう。失礼します、と声をかけて入室するとそこには沖田の姿もあった。

「なんだ?」
「本日早朝にかぶき町にて人が血だらけで倒れていると通報がありまして、すぐに向かったのですが……」

 そこにはすでに人の姿はなく、小雨に微かに流された血溜まりと刀だけが落ちていたと隊士は報告した。廃刀令のご時世に刀、組の者か過激派かと考えた土方は隊士達の無事を確認させると、ならばやはり攘夷派の連中の仕業だろうかと巡らせる。かぶき町での喧嘩や死体など日常過ぎてさほど気にもならないが、その立場上とりあえずの捜査はせねばなるまい。咥えていた煙草の灰を落とすと、土方はその紫煙を揺らせた。

「総悟、お前のとこの隊で調べとけ」
「冗談、俺は今日は非番ですぜィ」
「あ?そんなもん返上して働け」
「……死ね」

 ぼそりと呟いて立ち上がると沖田は隊士から押収品の刀を受け取った。柄についている古傷が握った掌へと妙な安心感を運んでくる。鞘からすっと引き抜いたその先は、鈍い光を放ちながらうっすらと油にまみれて血の匂いさえ漂わせていた。

「どこの刀だ?」
「さぁ……初めて見やした」

 覗き込んでくる土方の喉もとへわざと宛がうように振り返れば、開いた瞳孔が一瞬揺れたのを見届けて、沖田は少しだけ満足そうに刀を鞘へと戻した。

「ま、適当に調べてみまさァ」

 「総悟、テメェ……」と怒気を含んだ低い声を気にもせず、さっさと土方の部屋を後にする。

「報告はちゃんとしろよ!」

 叫ぶ土方に、もちろん返事はしなかった。




 庭に出来た水溜りへと視線を移すと小さな波紋が無数に拡がっていた。夜中から降り出した雨は今も静かに空から落ちる。

「沖田隊長」

 自室へと続く廊下で呼び止められ、振り返ると組下の一人が駆け寄ってきた。

「昨日点検に出した隊長の刀、欠けてたみたいで研ぎに二、三日かかるみたいです」
 
 わかった、と頷けば隊士は元来た廊下を戻っていく。さて、代えの大刀をどうしたものか……と考えていると、右手に持っている先程の刀が心なしかずしりと重みを増してその存在を示した気がした。

「代えにはなるか」

 自室の押入れから手入れの道具を取り出して茎に切ってある銘を確認すると、そこには清光とある。やはり聞いたことも見たこともない。が、刀身が放つその銀の光に惹き付けられるのも事実。元々、刀は切れればいいという考えしか持っていないはずなのに、土方の部屋でこの刀を手にした時から奇妙な高揚感が込み上げてくるのだ。最近の任務では刀を使うことよりも火器を使うことの方が多いのだが、今はただこの刀の切れ味を試してみたい気持ちで溢れている。ムラマサのような妖刀の類だろうか、だったら土方とやりあってみるのも面白いかもしれないと、沖田は口角を上げた。






「銀ちゃん、こいつ死んでるアルか?」
「死んでねーよ。……ってか死んでるかもって少しでも思うなら拾ってくんなよ!色々と面倒だろ」
「私じゃないよ。拾ったのは定春ネ」
「飼い犬の躾位ちゃんとしろ」
「……定春」

 音もなく背後から落ちた影に身構える間もなく、視界は暗くなり獣特有の生臭さが辺りを包む。あれ、俺今喰われかけてる?と神楽を見遣ればにやりと笑いながら手をひらひらと振った。

「飼い主の敵をやっつける定春はいい子アル」
「やめさせてください、お願いします」

 拾ってきた男の身なりを綺麗にして、床へと寝かせ今に至る。案の定、身体の何処にも傷はなく纏っていた血を拭うとそこにはただ、滑らかな肌があるだけだった。途中、その下半身も綺麗にすべきか迷ったが、幸いにもそこに血は見られなかったので雨を含んで濡れていた下帯を外すだけに止めた。
 名誉のために云うが断じて触れてない。      いや、ちょっとだけ指先や手の甲があたったけど、他意はねぇよ。……ねぇってば。だからねぇんだよコノヤロー!

 特別な外傷は見当たらないその男は、けれど死んだように眠り続け、目を覚ますのはそれから三日後のことになる。






「……勝っちゃん、もう六人だけになっちまったよ」

 仰いだ先のぽつんと浮かぶ月に語りかける土方の姿を見ると、は胸を抉られたような痛みを感じた。土方が近藤をその名で呼ぶことを聞くのは何時振りだろう。人前では特にもらすことのなかった名がこの場所に静かに響いたことに気付かないフリをして、は土方の後ろにそっと腰を下ろした。

「池田屋が懐かしいですね」
「あぁ」

 箱館にあの日からの隊士は土方を含めて六人しか残っていない。京の町で過ごした日々を懐かしんでいるのか、土方はただ月を見ていた。その後姿をじっと見ていると、時折、夜風がさらりと二人の間を吹きぬける。

、市村を日野へやる」

 月を仰いだまま土方が告げると、は一言「そうですか」と返した。もっと色々と訊き返されると思っていたのか、土方は少しだけ驚いたように振り返るとの顔をじっと見遣る。

「何ですか?」
「いや、珍しく静かだなと思って」
「私だっていつもうるさいわけじゃありませんけど」
「どうだか」

 にやり、と笑うその顔を、あ、これはいつもの土方さんらしいと少しだけ喜んでふふっと笑う。

「土方さんがそうと決めたなら何も云いませんよ」

 普段より随分と聞き分けのいいの姿を訝しげに見た後、土方は視線を空に浮かぶ黄色へと戻し、一瞬の静寂が流れた。

「市村見てると昔の総司とお前を思い出す」

       どうしようもねぇ悪童だったなぁ。と笑うその表情に、何故だか泣きそうになった。




       






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