慣れない江戸の町に少しでも早く溶け込む為、は時間のある時は万事屋からの方角を見失わないように町の散策をすることにしていた。数回程、道に迷ったこともあったけれど己の勘と運に身をまかせ、何とか無事万事屋へと辿り着く。最悪のときは人間だろうと見分けのつく人物に道を尋ねればいい。陽射しが少しだけ暖かい午後に、はいつも通りに江戸の町を歩き始めた。
罠ノ痕
空に浮かぶ巨大な船や遠くにそびえ立つターミナルという塔は何度見てもただただ圧倒される他ない。自分の元居た世界とは全然違う国の在り方に、日々驚かされるばかりだった。「遠くに行き過ぎるんじゃねーぞ」という銀時の言葉を守っていたつもりだが、どうやら異文化に気をとられ過ぎていたようだと、陽の沈みかけた空を見ては慌てて万事屋への道を探した。
が、行けども行けども見慣れた風景は現れない。誰かに道を尋ねようかと辺りを見渡すと、今までに見たこともない綺麗な光の装飾に目を奪われた。チカチカと様々な色が点滅する城のようなその建物に暫く呆けていると、背後から声をかけられる。
「入んないの?」
着流し姿でじゃらじゃらと銀の腕輪なんかをつけている男に、以前テレビを見ていた神楽が「新八もこんくらいチャラ男になれば童貞じゃなくなるヨ」と云っていたことを思い出した。
(チャラ男……)
これは天人と呼ばれるものではなく人間だろうと安心したはにっこりと微笑む。この人に道を訊いて戻ろうと話しかけようとした途端に、男もにこりと笑っての腰へと手をまわす。
「一緒に入ろうか」
「え?あ、いえ、私は……」
「大丈夫。俺、すごいから」
何がすごいのだろうと思いながらも力を入れて踏みとどまった足が、ずるりと地面を滑った。抵抗するを見て再びにこりと笑う男に、つられてこちらも笑みを返す。
「やっぱあんたみたいな上玉、タダじゃないよね。幾らなの?」
「……」
かみ合わない会話に返す言葉が見つけられずにいると、男はの背中に腕をまわし、反対の腕を両膝裏へと伸ばしてきた。「えっ」と思った時にはすでに所謂お姫様抱っこの状態で、これには流石に自分の置かれている状況が理解出来ていないでも身をよじって抵抗する。
「軽っ、細っ、肌すべすべ。そこら辺の女より全然いいね」
首筋に顔を埋めて深く息を吸い込んだ男は「イイ匂い」と呟いて首筋を舐め上げた。ぞわりとした感覚がを襲う。京に居た頃にも何度かこの手の男色好みの男に絡まれたことはあったけれど、あの頃は刀を引き抜いて身を護れたので特に苦労したことはなかった。が、今は頼みの清光は真選組に取り上げられたままで此処にはない。何とかこの場を切り抜けようと必死になるが、体格差があり過ぎるその力には敵わなかった。
「離 」
せ、と放つ言葉と同時にすっと伸びた銀の刀身が男の喉へと宛てられる。音もなく皮一枚を切ってうっすらと滲んだ血の筋に、男は力を抜いた。
「何プレイですかィ?俺も混ぜて下せぇ」
「し、真選組!?ななななにもしてねーよ!」
「だったらとっとと失せやがれ」
脱兎の如く逃げ出した男を見送ると、残されたはあっと気付いたように頭を下げた。
「沖田さん、ありがとうございます」
「お楽しみの邪魔して悪かったなぁ」
刀身を鞘へ収めると沖田は下から上へと品定めするかのように視線を流す。当のはそんなことは気にせずにただじっとその刀だけを見ていた。
「…………」
「…………」
「沖田さん」
「駄目ですぜィ、こりゃまだ調べが済んでねぇ」
飄々とした顔で返す沖田には小さく溜息を吐いた。その刀はの刀で、こちらの世界に来た時に真選組が押収したものだ。押収品を使うなんて、そんなの在りかと云われても沖田にかかれば何でも在りである。顔を合わせるたびにはそれとなく尋ねるのだが、沖田はいつまでたっても清光を返してくれる気配はない。更にこの世界は廃刀令が出ているとくれば、身元不明のがいくら自分のものだから返してくれと頼んだところで、はいどうぞ、とはいかない。いつになったら自分の元へ返ってくるのか、出来れば早い方がいいなとは沖田の元へ収まった刀をじっと見ていた。
「で、さん。アンタこんな所で何やってんでィ」
「道に迷ってたんですけど、光が沢山で綺麗だなと思って。此処は何をする所なんですか?」
”はにぃ★とらっぷ”と丸く書かれた煌びやかな電飾看板を指差して、は沖田に問いかける。瞳にあるのは純粋な好奇心だけだが、その表情は土方よりも年上だとは思えない程幼く見えた。
かちっ、と何処かで沖田のスイッチが入る。サディスティック星の王子が今まさに降臨したことを、はまだ気付けなかった。
「しょうがねぇ、これも江戸の文化に慣れるためだ。俺が一緒に入って教えてやりまさぁ」
掴まれた手首を引っ張られるがまま、はその後について行った。
「これは……」
中央に置かれた巨大なベッドに照明が落とされたうす暗い部屋はどう見ても寝室でしかない。天井と辺りに張り巡らされた鏡が気にはなるが、は思ったままを口にした。
「宿、ですか?」
「でさぁ」
腰元から抜いた刀を鞘ごとソファへ置くと、沖田はテレビのリモコンを片手にピッとそのボタンを押した。薄型の大きな画面からは白衣を着た男に抱かれたナース姿の女が、絶頂を迎えて一際大きな嬌声を上げている。部屋中に響くその声に、は一瞬何事かと考えた後、くるりと沖田に向かって画面を指差した。
「お、沖田さんっ!これっ……」
女優がイマイチだ、とザッピングを始めたその画面からは、けれどどれも色濃い内容のものしか流れてこない。こくり、との喉が上下したのを沖田が見逃すはずもなく、顔色ひとつ変えずにの元へと歩み寄った。
「ま、座ったらどうです?」
無理矢理に肩を押してベッドへと座らせると、冷蔵庫から取り出したビールを片手に沖田はその隣へと腰を下ろした。
「あの……」
「しぃ。今、いいとこですぜぃ」
画面をじっと見る沖田につられてもその画面へと視線を向ける。訊きたいことが山程あっても当の沖田に静かにしろと云われては、ただ従う他ない。他人の閨事が流れているなんてこの国はどうなっているのだろうと巡らせていると、沖田は隊服のスカーフをしゅるりと解きの目元へとその手を伸ばした。
「沖田さん?」
「ここではこうするのが決まりなんでさぁ」
そのスカーフでの視界を奪うと沖田の気配がすっと離れる。手足を拘束されたわけでもなく、ましてやこちらの世界で数少ない知り合いの沖田のすることだ。悪いようにはされないだろうと、はされるがままにその身を預けていた。が、待てども待てども空気の動く気配はない。画面から止まることなく聞こえてくる女の嬌声だけが耳に入ってくる。視界を遮られた分聴覚が過剰に鋭くなっていて、は下半身に熱が集まるのがわかった。異様に乾いた喉が、身体の熱さをも訴えている。
羞恥にいたたまれない気持ちで、そっと目元へと手を伸ばす。しかし、その手はスカーフの結び目へと届く前に、がしりと止められた。
「お、きた……さん?」
「勝手に外すのはルール違反ですぜぃ、さん」
いつの間に近くに来たのか、その気配を全く感じさせない沖田の動きには息を呑む。さすがは一番隊の組頭だと、何処か遠くでぼんやりと感心した。
「あの、私……すみませんが喉が乾いて……」
外しても、というか帰ってもいいですか?と、すぐそこにいるであろう沖田へと告げると、すっと首筋をなぞるように指が這った。その感覚は全身を伝い、びくりと肩が上がる。今はどんな状況なのか、せめて教えて貰おうと「沖……」と呼んだ名前は、けれど最後までは云えなかった。
→