後追いの後追いの後を追う




 きゅるるるる、と鳴った腹を暫し無言で眺めた後に少しだけ恥ずかしそうに顔を紅くした良牙は「クソっ」と吐き捨てた。いつもの昼の購買部でのパン争奪戦に、あと一歩、勝利へと届かないのは憎き早乙女乱馬の所為だと拳を握り締める。その光景を、これも毎日のように中庭の隅で手製の弁当を広げながらは静かに見守っていた。

「つーかさ、だったら良牙がもっと強くなりゃいーじゃん」
「うるさいっ!お前に何がわかる!」
「いや、俺の弁当が減るのはわかる」

 ぱかりと開けたその蓋に中身の半分を綺麗に分けると、いつも通り余計に持ってきた良牙用の箸を添えてずいと差し出す。

「……すまん」
「そう思うなら負けんな」

 けらけらと笑うその表情に一瞬眉根を寄せた後、小さな溜め息を吐いて良牙は玉子焼きを口に入れた。その動作をじっと見つめては良牙の発する次の言葉を期待に満ちた目で待っている。咀嚼した後にごくりと喉を通せば、更に身を乗り出したの顔が目の前にあって、どきりとした胸の内を隠すように良牙は「近いっ」と片手でその顔を押しのけた。

「ど?」
「んー、チーズ?」
「やっぱ今日のは簡単過ぎたか」

 ふははと箸を咥えながら、同じく玉子焼きを口に入れるとは「うまい」と満足そうに笑う。「自分で言うな」と良牙が呆れると「だって誰も褒めてくれねーもん」と返す姿は、楽しげに見えてやはり何処か少しだけ淋しさを含めている気がした。

「明日は俺もコロッケパンが食べたいなぁ」

 そぼろの乗った飯をぱくりと口に運んで、そう呟いたをちらりと見遣ると良牙は「ん」と小さく返事をした。

「あ、こんなとこに居た」

 がさりとわざわざ後ろの植木を掻き分けて現れた乱馬は、にやりと笑うとの手元から素早く弁当のおかずをつまみ取る。

「乱馬!貴様、性懲りもなく!」
「おめーが怒ることねーだろ、良牙」
「問答無用だ!」

 つかみ合いの始まった二人を横目にこれもいつも通りの光景だと肩を上げ、はこれ以上の被害を被る前に残りの弁当をかき込んだ。




 男だらけの中学はとにかくうるさい。昼の購買部なんて毎日が戦場だったりする。転校初日にその戦いにあっさりと敗れたは翌日から弁当を持参した。世話になっている下宿先には高校生や浪人生もいたけれど付いている食事は朝と夜だけだったので、登校時間よりも少しだけ早目に起きて準備する。早くに両親を事故で亡くしたは自炊の腕も人並以上にはあったのだ。
 慣れない教室で一人ぽつんと昼飯を食べるのも何だか面白くない。かと言って自らクラスメイトの輪に入っていける社交性もまだ持っていないので、結局、静かな場所を求めてこの中庭へと辿り着いたのが一ヶ月程前だった。
 一ヶ月も経てばクラスにも馴染むし、友人だって少しは出来る。けれど、はわざわざこの場所に訪れては一人弁当を広げるのだ。理由はひとつ、初めて出来たこの学校での友人が昼飯の争奪戦に破れ腹を空かして現れるのを待っているから。
 今日も怒りに震えながら現れた友人に「よぉ」と笑いかけて、それなりに充実した新しい町での学生生活を過ごすのだ。

 その日の帰り、は明日の弁当の食材を買いにスーパーへと寄った。特売のじゃがいもを一度はスルーしたものの、店内を一周した後に戻ってきた場所でその一袋をかごへと収める。
 明日の昼に良牙は無事、コロッケパンを入手してくるだろうか。多分無理だろうなと一人口元を緩めて下宿先の台所でコロッケを作るべく、じゃがいもの皮を鼻歌交じりに剥いた。




 翌日の昼、いつもの場所では弁当を広げる。じゃり、と地面を踏む足音に顔を上げるとそこにはいつも以上にボロボロになった良牙がいた。

「今日はまた随分と……」
「ほら」

 ずいっと差し出された手には、潰れてお世辞にも美味そうとは言えないコロッケパンがある。

「え?」
「昨日、食いたいって言っただろ」

 言ったけど、まさか本当に乱馬に勝つとは思っていなかった。……などと言ったら良牙はきっと怒るだろう。は無意識に伸ばした腕でその潰れたコロッケパンを受け取ると、へにゃりと笑った。嬉しくて頬が緩むのがわかる。その顔を見た良牙が顔を紅くしたことには気付かなかった。

「あ、じゃあ、これ」

 代わりに、と差し出した弁当を見れば彩とりどりのおかずのメインはコロッケだったことに良牙は片眉を上げた。

「いや、なんか食べたいなーと思ったら止まらなくて」
「俺を信用してなかったのか?」
「ん?いや……保険?的な」

 はは、と笑いながら「まぁまぁ食べて」と箸を渡すとはコロッケパンをばくりと食べて「うまい」と良牙に笑顔を向けた。「そうか」と何処か嬉しそうに弁当を食べだした良牙には「あ」と声を出す。

「ってかこれ一個じゃん。良牙が食べたかったんじゃないの?」
「いい」
「でもせっかく乱馬に勝ったんだろ?」
「……また勝つから構わん」

 がつがつと箸を進める良牙は、じっとを見ると意を決したように「今日のも美味い」と弁当を指す。ぽかんと間の抜けた表情で見つめた後、は「ありがと」と下を向いて熱くなる顔に早く冷めろと願った。




 こんなの、なんかおかしくないか?そんな風に自分に問いながらは一日の終わりに自室のベッドで膝を抱えて考えていた。まるで恋する少女みたいだ、と顔を紅くして、けれど次にはぶんぶんと大きく首を振る。ないないない。優しくされてちょっと嬉しかっただけだ。久しぶりに心から笑えたことに、それを引き出してくれた新しい友人を、友人として好きなだけだ。うん、きっと絶対そうだ、と自分に言い聞かせると布団へともぐりこむ。明日も普通に、明日もいつも通りに、そう呪文のように唱えながら眠れない夜を過ごした。




 その日、良牙は現れなかった。昨夜、あれだけ悩んだ自分を嘲笑うかのように、いつも通りの中庭にはいつも通りの喧騒は訪れない。気持ち多めに作ったおかずを食べきることは出来なくて、は昼休みの終わるぎりぎりまでその場所にいた。
 次の日もその次の日も待ち人は来なかった。風邪でもひいて学校を休んでいるのかなと別に良牙のクラスに顔を出すこともせずに数日が過ぎた頃、乱馬が転校していたことを知った。転校、というか修行の旅に父親と出たらしい。ライバルが突然居なくなったショックで寝込んでいるのだろうか。友人として様子を見に行く位なら許されるだろうと、良牙のクラスメイトに住所を訊いて彼の家を訪ねればそこでまた衝撃の事実。乱馬を追って良牙も中国に渡ったと言うのだ。
 あまりにも突然いなくなった友人を、は少しだけ恨めしく思った。

「一言くらい、何か言ってけよ」

 サァと風が吹き抜けた帰り道、ある日突然帰ってこなくなった両親を思い出す。

「……なんで皆、何も言わずにいなくなるんだっつーの」

 語尾を強めて吐き捨てても、それは空しく風がさらっていくだけだった。沈む夕陽が辺りをオレンジに染める。周りの家からは夕餉の匂いと、楽しそうな団欒の声。
 は少しだけ滲んだ視界をぐいっと拭き取ると、何かを決心したように走って下宿先へと帰った。



   



111202