屯所の門をくぐると目に入った隊士に湯の入った桶を用意させ、局長室へと持ってくるように指示した。背負っていた男をそっと下ろして、床の準備をする。熱過ぎず、温過ぎない湯で手ぬぐいを絞ると、汚れた肌を拭いてやりながら濡れた長着を取替え、布団をかけた。自分が普段、使用している寝具にちらりと目を遣る。

(……臭いとか、大丈夫だよな?)

 客人用のものを使えばよかったのか、と今になって気付いたが、今更取り替えるのも面倒で小さく肩を落として、そこに横たわる男をじっと見た。整った顔立ちに白い肌、それに黒髪がよく映える。伏せた睫は長く女のそれよりも艶を帯びていて、近藤は何とも云えない妙な気持ちになった。

「近藤さん、戻ったのか?とっつぁん、何て      

 勝手知ったる何とやら、いきなり開けられた障子の向こうからは土方が咥え煙草で顔を出す。特別やましいことなどしていないはずなのに、びくりと跳ねた心臓を誤魔化すように、近藤は作り笑いを向けた。

「何してんだよ」
「別に、何も」
「…………」
「…………」

 眉をひそめて視線を向けてくる土方は、布団に横たわる男を見ると「あ?何でこいつがここにいるんだ?」と更に怪訝な表情で近藤を問い質した。

「トシ、知り合い?」
「いや、知り合いっつーか、さっき万事屋が連れてた奴だ」
「万事屋ぁ?……じゃあやっぱ何かワケありか」
「かもな。で、なんでアンタがこいつ拾ってんだ?」
「ん?ああ……、とりあえずここじゃなんだから、部屋変えて話すか」







「で?ジミーくん、君は何でさっきから俺のあとを尾けてるの?」
「別に旦那について行ってるわけじゃないですよ。方向が同じなだけです」
「傘なら今度ちゃんと返すんだからさ、勘弁してよ」
「だから違いますって」

 雨の中、二人の男は少しの距離をとって歩いていた。
 真選組の屯所を銀時が再び訪れると門の近くにいた隊士を捕まえて傘を貸せと頼んだが、いまいち話が通じない。

「お宅らはさぁ、困ってる市民を助けるのが仕事なんじゃないの?大切な市民様が雨に濡れて風邪ひいたら悲しいでしょ?だからつべこべ言わずに傘貸して下さいこのやろーって言ってんだよ」

 タチの悪い男に絡まれている隊士が、困ったように対応していると、傘を持った山崎が出かけるところだった。

「あ、さすが名監察のジミーくん。話が早いねぇ」
「ちょ、旦那、今度は何ですか?」

 銀時は山崎の傘を奪うと「あんがとよ」と背中を向ける。状況の読めない山崎は隊士と銀時の背中を見比べると、小さく溜息を吐いて新しい傘を取りに戻り、近藤からの電話で指示のあった公園へと急ぎ今に至る。

 それ以上に会話が続くわけでもなく、お互いが黙ると傘に当たる雨音だけが妙に響いた。暫く歩いて目的の公園が見えたところで、ちらりと銀時は後ろを振り返る。空を仰いで雨を窺う山崎に、ま、いっか、と肩を落とした。


「……おい、何の冗談?どこ行ったんだよ?」

 誰もいないその場所に立ち、辺りをざっと見渡しても探している人物はいない。視界に入ったのは、先程からずっと道を共にした真選組の地味隊士だけだ。……まさかな、と嫌な予感たっぷりで山崎へと向き直ると銀時は、おい、と声をかけた。

「一応訊くが、ジミーくんは何でここに?」
「局長の指示で人を待つようにって」
「……どんな人?」
「わかりません。ここに居た盲目の男性を迎えにくる人を屯所まで案内するように、としか」
「…………」
「…………」
「…………」
「……あの、旦      
「それ、早く言えやぁぁぁぁああああ!同じ道何回歩けばいいんだよ!つーか、だったらゴリラも同じ道歩いてこいよ!何でわざわざすれ違っちまうかなぁ、なぁ!?」

 叫んだところでどうにかなるわけでもなく、銀時は来た道へと再び一歩を踏み出すと今度は少しだけ大股でがさつに歩いた。残された山崎は一瞬ぽかんとしていたが、近藤の指定した相手がまさかの銀時だったことに気付き、その背中を追うように同じ道へと戻った。








 それは夢だとわかった。
 真新しい畳の匂いや、肌寒い空気。感じるものはすべてが現実のようで、胸の奥に何かがぐっと込み上げる。前川邸の裏門を抜けて、ひんやりとした廊下を歩いた。懐かしいその場所で、猫のように丸くなって眠っている自分自身を見下ろしてから、部屋の主たちを眺めると、視界は一気に滲んだ。

「……ああ?なんだこいつ、寝ちまったのか?」
「あぁ、さっきまで総司がいなくて暇だと騒いでいたんだけどな」
「かっちゃん、甘やかすのも大概にしといてくれよ。といい、総司といい、どうもこいつらはいつまで経っても若先生、若先生と締まりがねぇからな」
「ははは、俺は悪い気はせんがなぁ」
「示しがつかねぇって言ってんだよ」
 
 懐かしい声に、は自分が震えるのがわかった。あぁ、この声は土方さんと近藤さんだ、とその姿を瞳に映そうとしたが、どうしてかその姿だけがぼんやりと霞む。「近藤さん」と呼んでみても、それは声にはならない。それでも、心地の良い二人の声と、この場所に、安心しているのか焦りはない。ドタドタと誰かが廊下を歩いてくるその音でさえ落ち着いた。

「近藤さん、土方さん、島原で噂の太夫とやらを拝みに行かねぇか?」
「聞いた話じゃ、あんなことやこんなことまでやってくれるらしいぜ」
「あれ?、ここに居たんだ」

 原田と永倉に続き、藤堂の声がする。

「てめぇら、さっきからうるせぇんだよ。局長室は溜まり場じゃねぇぞ!散れ、散れ」
「んなこと言ったってよ土方さん、近藤さん呼びに来たってその周りにはいつも誰かしらいるんだから仕方ねぇじゃねーか」
「おい、左之、誰かしらってぇのは違ぇねぇが、必ず居る人は決まってるぞ」

 ぽんっと手を叩いて「永倉さん、それって土方さんのこと?」とからかうように笑う藤堂に、土方が赤い顔をしながら鬼の形相で睨んでくる。

「新八、平助、ちょっと来い」
「わー、鬼が怒った!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ声に、は口元が上がった気がした。みんながいる、それだけが、ただ嬉しかった。

「何楽しそうなことしてるんですか?私も混ぜてくださいよ」
「総司、何処に行ってたんだ?が探していたよ」
「山南さんと一緒に八木さんのおうちにお呼ばれしてました」

 右手に抱えた包みから大福を取り出すと、沖田はぱくりと口に含む。

「総司、いくらなんでも食べすぎだよ。さっきもう充分に食べていたじゃないか」
「まだまだいけますよ。だってこれ、本当においしいんです。山南さんもどうですか?」

 私はもう結構、と困ったように笑う山南を横目に、沖田はの元へと歩みよった。

「、、起きてください。源さんがもうすぐ巡察から帰ってきますよー」
「総司、源さんと何か約束してるの?」

 藤堂の問いに、次の大福を食べながら「前に巡察のときに見つけた、おいしそうな京菓子屋さんに案内してくれるって」と笑顔で沖田が答えると、その場にいた全員が大きな溜息を吐く。

「総司、お前を斬ったら中から出てくるのは餡じゃないかと心配だよ」
「えー何ですか近藤さん。それじゃあ私は自分を食べなきゃいけませんね」
「阿呆なこと言ってねぇで、お前らさっさとどっか行け!」

 土方の怒号に皆が笑う。それを聞きながら、は今度こそ自分の口元が完全に緩むのがわかった。もう一度、きちんとみんなをこの瞳に映したい。瞼を下ろし、ゆっくりと意識をしながらその瞳を開くと、眩しい光が一瞬の痛みを運んできたが、苦にはならなかった。

 夢でもいい。
 この刻を、今、この場所を。

 は切にそう願った。




    





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