日曜の午後。家に持ち帰った仕事を片付けると、冷房を切って部屋の窓を開け、扇風機を回す。少し遅めの昼飯を作ろうと冷蔵庫を開けると、は「しまった」と一人ごちた。何か入っているだろうと覗いたそこは見事に空で、特売で買ったマーガリンとマヨネーズやわさびなどのチューブものしか入っていない。困ったときのインスタント様と棚を見れば、そこにも食材は何もなかった。

「……駄目すぎる」

 気合を入れるべく、よしっと勢いよく振り返ると財布を持って家を出た。
 
 夏ももうすぐ終わるはず。暦の上ではそうであっても午後の陽射しはまだまだ強い。とりあえず近くのコンビニに入ると、アイスコーナーへと足を運んだ。
(ガリガリくんソーダか、梨……。いや、ガツンとみかんも捨てがたい)
 暫くその場で考えこむと、は梨とソーダのガリガリくんを手にとってレジへと向かう。店を出てすぐにアイスを取り出すと、がぶりとかじりついた。

「うめー」

 太陽の照り付ける中、なるだけ家々の影を見つけてはそこを歩く。蝉の合唱を聞きながら、通い慣れた店への道を進んだ。見慣れた看板、ル佐藤が見えてくる。初めて足を踏み入れたあの日から、もう三度くらいは通っているがその後は特に店主との会話もなく、常連であろう子連れの三人組と談笑する店主を横目で見ながら、仕事帰りの空腹を満たした。何を頼んでも外れのないこの店は、もうすっかりの心のお気に入りフォルダに入っている。
 が、今日はその店をすっと通り過ぎた。休日の午後だ、久しぶりに自炊しようと決めたは少し先にある個人経営のスーパーを目指す。指へとたらりと垂れたアイスを舐め上げ、二個目を早く食べねば溶けてしまう、と焦っていると前方から歩いてくる少年と視線がばっちり重なった。

「あ」

 と、声を漏らす。ル佐藤の店主の息子だと気付いたは軽く手を振った。「こんにちは」と声をかけてもよかったのかもしれない。が、ただ数回通っただけの客の自分をこの少年が覚えているだろうか。否、覚えていない場合、下手に自分から語りかければこのご時世、変質者扱いされてもおかしくない。そんな思考を瞬時に巡らせてからの精一杯の答えが軽く手を振る、だった。
 けれど、予想に反して少年は「あー」と声をあげ、ぱたぱたと走ってくる。

「兄ちゃん、今日はまだ店開いてないよ」
「あー、……うん」

 曖昧に返したはちらりと辺りを見たが、店主の姿はない。

「おいら、おとうに頼まれて財布取りに来たんだ。うっかりして忘れたんだって。店に着く前に気付いたから一緒に戻ろうかって言われたけど、おいら一人でも行けるって言ったんだ。だってもう五歳だからな」
「そっか、偉いし、かっこいいなぁ」

 は本心から出た言葉を素直に述べた。へへ、と得意気な少年の頭をぽんぽんと撫でると笑みが零れる。

「おとう、買い物終わったら店開けるよ?」
「うん。でも俺も今日はスーパーに買い物行く途中なんだ」
「そうなのか。なら一緒に行こう。ちょっと待ってて」

 店へと走ると、財布を持って再び自分へと駆け寄ってくる少年を見て、さて、どうしてこうなった?とは苦笑した。
 溶けかけたアイスをじっと見る少年に「食べる?」と新しいアイスを差し出せば「ありがとう」と袋をあける。渡しておいてなんだけど、と思いながらは口を開いた。

「おい、知らない人から貰ったもん、簡単に食べたらあぶねーぞ」
「なんで?兄ちゃん知らない人じゃないじゃん。おいらだって全然知らない人には話しかけないよ」
「……あ、そ。しっかりしてるな」
「おとうからいつも言われてるからなぁ」
「いいとーちゃんだな」
 
 「おぅ」と嬉しそうに笑う少年は、アイスを食べながら「あ」とを見上げる。

「兄ちゃん、名前なんていうの?おいら、ビー太郎っていうんだ」

 びーたろう?変わった名前、どんな字書くんだろうと考えながら、今の子供の名前は変わったのが多いのか、と結論付ける。

「俺は、ってんだ。よろしくな、びーたろう」
「おぅ!よろしくな、」

 と、伸ばしてきた手で握手するのかと思いきや、そのまま掴まれた手は離されることはなく、お手て繋いで仲良く歩く羽目になった。生意気そうだけど、やっぱまだ子供だもんなぁと妙に納得して、はスーパーへと向かった。

 が、近道で入った公園でばったりと店主に逢った。「おとう」と嬉しそうに呼ぶビー太郎の横で、はぺこりと頭を下げる。

「こんにちは」
「こ、んにちは。あの、すみません、うちの息子がなんか……」

 繋がれた手と食べかけのアイスを見比べて店主も頭を下げる。

「あ、いえ、全然。こちらこそ、何か勝手にすみません。俺、全然怪しい奴とかじゃないんで……」
「いえ、そんな……」

 大人二人がぺこぺこと頭を下げ合うのを見ながら、ビー太郎は「何やってんの?変なの」と自分とは関係ないかのように振舞う。その姿を見たと店主は「お前が言うなよ」と声が重なったことに、顔を見合わせて笑った。

「おとう、財布」

 差し出したビー太郎の手からそれを受け取ると「おー、ありがとな」と頭を撫でる姿を見て、公園でのそんなひとコマが微笑ましく思える。

「やっぱり心配で戻ってきたんですか?」

 の問いに罰が悪そうに眉を下げて、店主は頬を掻いた。

「いえ、あの、店が臨時休業だったみたいで」

 「えっ?」と声を上げたのはである。せっかく久々の自炊をしようと意気込んでいたのに、目的の店は休みだと。他に思い当たる店もなく、あーあ、と溜息を吐くと共に腹の虫がぐぅと鳴った。



 結局、ル佐藤へと一緒に向かい遅めの昼飯はここで食べることになる。

「何にします?」

       と言っても食材があまりないので簡単なものしか作れませんけど、と店主は付け足した。
 簡単なもの、簡単なもの。は頭の中でその部類に入るメニューを考える。うーん、と巡らせたところで「あ」と思いついたものを店主へと告げた。

「おにぎりってできます?塩だけの」
「え?あ、簡単って言っても、もっとちゃんとしたの作れますよ」
「いや、何か今、急に食べたくなりました。人が握ってくれた、シンプルなおにぎり」

 にっこりと笑うに店主は「承りました」と笑顔で返すと、洗った両手へと塩をまぶして釜からあげた白米を握り始めた。二つ、三つと出来たところで巻かれた海苔が美味しそうな香りを運んでくる。子供のころに母親が作ってくれたそれを思い出しながら、はこくんと喉を鳴らした。

 「どうぞ」と出されたおにぎりを手にとると、口に入るぎりぎりまでをばくりと食べる。加減のいい塩と、米の熱で少ししなびた海苔が何とも言えずたまらない。付け合せに出された玉子焼きと沢庵もその美味しさを充分に発揮する。

「やっぱおいしい!佐藤さん、天才!」
「え?」

 褒め称えている目の前で、少し困ったような店主に「ん?」と思いながらもは話を進めた。

「おにぎりって、おむすび、とも言うじゃないですか」
「あ、ええ、そうですね」
「うちは母親がおむすびって言うから、俺もずっとおむすびって言ってたんですけど」

 笑顔で話を聞いてくれる店主に、ふと、自分は何を下らないことを喋っているのだろうと照れが入る。

「あー、でも、ガキの頃に同級生にバカにされちゃって。それで母親に「お母さんのせいだー」って泣きながら訴えて」

 何か今、それを思い出しました。と笑うに店主は優しく笑い返した。

「いいですね、そういうの。でも俺もおむすびって言いますよ」
「またまたぁ、いいですよ、別に」
「いや、本当ですって。うちの息子、おむすびころりんが大好きで」
「え?そうなの?俺もあれ大好き」

 横のテーブルに座るビー太郎に視線を向けると「お揃いだな」と生意気そうに返される。顔を見合わせて三人で笑う、そんなふうに日曜の午後は過ぎていった。



「じゃーね、。またなー」
「おー!ビー太郎もまたなー」

 大きく手を振ったあとに、ぺこりと店主に頭を下げては歩き出す。
 その姿が見えなくなるまで見送った店主はビー太郎に向かってしゃがむと「あの人、さんって言うのか」と頭を撫でた。

「うん。おとう、ってひなたの次くらいにかわいいね」
「……あー、うん、そうだな」
「惚れたのか?」
「は?バカ言うな、ビー太郎」

 焦る店主は照れを隠すように笑って誤魔化すと、の消えた道をじっと見る。
 次は名前をちゃんと伝えようと心に思った。







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