そうか。
はは、と乾いた笑いと共に出た白い息は、まだ薄暗い夜明け前の空に消えた。誰もいない道場の扉を開けると素足には冷たい床が痛みさえ連れて来る。ぎしり、と鳴ったその一歩先に、居るはずのない人を想って、は竹刀を構えた。間合いを見ながら、頭の中でどう攻めれば斬られずに済むのかを考える。 が、すぐに邪魔してくる感情の消し方はわからなかった。
「……さみしかった……のか」
自分に問うても、返事はない。
桜雪
全てを斬り捨てるように無我夢中で竹刀を振っていると、ふと背後に人の気配を感じて瞬時に体勢をそちらへと向ける。下から振り上げて、確実に捉えたかの様に思えたそれは、しかし見事に受けられた。
「くっ……」
力のままに押した所為か手首への返りは容赦なく、思わず落としてしまいそうになった竹刀をなんとか握り続ける。ぽたり、と落ちた汗を見届けた後に顔を上げれば、そこには一番逢いたくない人物がいた。
「らしくねぇなぁ、力まかせの剣なんざ」
着流しのまま竹刀の構えを解くと、顎へと手を添えていつもの笑みを向けてくる。
は小さく息を吐き、一歩下がって正座をすると深々と頭を下げた。
「もう一本、お願い致します」
「構わねぇが、今のお前じゃ何度やっても結果は同じだ」
「……今じゃなくても、栄ちゃんに勝てたことねーよ」
立ち上がると同時に向かって振り下ろす竹刀の先には、子供の頃からただ憧れだったその男しかいなかった。
はらり、はらり。と雪落つる。
風に舞うのはあの日の桜の幻か。
俺はね、新八さん。
本当は、縋りたかったんだ。
昔みたいに大泣きすれば、最後には困ったように笑いながら、きっと一緒に連れて行ってもらえると思ってたんだ。
だけど、あんたは振り返らないことも知っている。
此処にはもう、戻ってこない。
「っ……はぁ……はぁ……」
身体中を打たれて、込み上げてくる胃の中のものと悔し涙をぐっと堪えて歯を食いしばる。肩で大きく息をしながら床へと倒れ込めば、ひんやりとした冷たさが心地よかった。
「まだまだ、だな」
座り込んで伸ばされた掌が、汗で絡んだ前髪を払う。
伝わる優しさは、やっぱり昔のままで、どくどくと脈打つ心の臓が更に早くなった気がした。熱くなる目頭を誤魔化すように力いっぱいに擦ると、頭上からふっと呆れた笑い声が降ってくる。
「……栄ちゃん……明日、発つの?」
声は震えていた、と、思う。精一杯の虚勢を張っても平気な顔して笑えるほど自分が大人じゃないことを知っているから。
「ああ。お前の稽古に付き合うのもこれが最後だ」
「そっか……」
続く言葉を頭の中で探すのに、一向に見つからない。
「……今度」
情けない声だった。涙と溢れたその声は、ちゃんと届いていただろうか。
「今度逢う時は、俺も”新八さん”って呼ぶのかな」
「はいつまでたっても泣き虫だな」
「……栄ちゃんの意地悪」
「お前はずっとそれでいいよ」
「え?」
見上げれば、いつも通りの優しい掌が頭を撫でた。
「……俺、頑張って本目録貰えるようにする」
「あぁ」
「それから、もっと頑張って免許皆伝」
「またでかく云ったな」
ははは、と笑うその顔は、歪んだ視界にうまく映らない。
「だから、もし、神道無念流を極めたら……」
栄ちゃんを追いかけてもいい?
最後は言葉にならなかった。理想を語るだけの童なんて程よくあしらわれるしかない。ぼろぼろと零れてくる涙が邪魔をする。強くて優しい掌から伝わる熱を、ただただ忘れないように必死で身体に閉じ込めた。
行かないで、なんて云わないよ。
連れてって、も、我慢する。
だから、いつか、いつの日か。
ぎゅっとしがみついた両腕が、息も苦しい程に返してくれる力強さに、俺はやっぱり、ただ、泣いた。
となりに並んで歩ける日がきたら、また今日みたいにその優しさを、相も変わらず、俺に頂戴。
101030
(永倉さん19歳。
14歳。
脱藩。
ところで神道無念流って
(というか撃剣館って?)
竹刀使うのか木刀使うのか
悩んだ挙句竹刀設定。
ざっと調べただけじゃわかんなかったです(汗)
ご存知の方いらっしゃいましたら
ご教授くださいませ(土下座)