東方司令部勤務 二年二ヶ月目


「……んっ……あっ……」

 しなやかな線を描いたその腰へと指を滑らせて、びくんと跳ねた身体に噛み付く様に吸い付けば、甘い声を上げたその口元を塞ぐべく、俺は右手の指を歯列をなぞる様にしてゆっくりと入れた。くちゅ、と淫猥な音が響く。伏せた睫に流れる黒髪、快楽に歪んだその表情に欲情して下半身に一気に熱が集中するのがわかる。
       これはやばい。いくら久しぶりだからと云って、この段階で果ててしまうには早すぎるし、何より男のプライドってもんが…。
 違うことを考えて、少しでも萎えさせようと試みるが、下から伸びてきた細い指に自身を絡めとられ、秘部へと宛がわれた。

「……いいからきて……っ……軍人さ、んっ……」

 その淫らな笑みに重なったのが、あいつの顔じゃなければもっと長持ちするんだけどな…と、言い訳してみても今のこの状況じゃ情けないだけだ。

「わりぃ……ちょっと、余裕ないかも」

 一気に打ちつけた腰に、悲鳴にも似た喘ぎを上げて、そいつは背中に回している指先の爪を思い切り立てた。






「隊長、昨日はどうでしたか?あの後」

 少しだけ下品な笑いを含みつつ、部下の何人かが声をかけてきた。任されていたテロの片付けが終わって、隊の奴らで呑みに出たのが昨夜。毎日毎日軍と家との往復で、そりゃあ疲れもナニも溜まる一方で。だからこそ、明日から何事もなければとりあえず通常隊務に戻れるというこの嬉しさに、少し位、酒が進んでもいいはずだった。

「何もねーよ。さっさと仕事に戻れ」

 何か云いたげに笑いながら各々持ち場へつく部下を見送ると、昨夜の出来事を思い出して大きく溜息を吐いた。






 明日も仕事だから、と気持ち早めに切り上げる。休みの連中はまだまだ今からだと騒ぎながら新しい酒を注文していた。「程ほどにしとけよ」と羨ましさと恨めしさを込めて小言を放ち店を出ると、火照った身体を夜風が気持ちよく吹き抜けていく。ポケットから取り出した煙草に火を着けて思い切り吸い込むと、広がるその煙に何処か安心感さえ覚えてしまう。量を減らせと常日頃から大佐を初めとする仲間たちに云われても、やはりこればっかりはそう簡単に止められそうにはない。
 途端、くいっと引っ張られた右袖へと視線を移すと、小さな…というには少し語弊があるかもしれないが、少年が立っていた。14、5歳に思えるその少年は屈託のない表情で俺を見上げるとにこっと笑う。

「…?」

 名前を呼んだ後で、阿呆か、と自分の頭を掻き回した。いくら幼く見えると云ってもあいつは大佐と同じ歳で、ここまで小さくもない。黒髪の男ってのは背が低いって統計でも出てんのか?と少しだけ笑いをこめて煙を吐き出した。
 それにしても…似ている。黒髪だけじゃない。顔のパーツのどれをとってもその少年はに似ていた。

「子供がこんな時間に何してんだ?」

 ぐりぐりと頭に手を伸ばせば、少年は少しだけきょとんとした顔をして、それから、くすっと笑った。      あ、今のは逢ったばっかの頃のの仕草に似てるな。

「やだなぁ。俺、子供じゃないよ。もう20歳過ぎてるし」
「は?嘘つけ、どう見ても15歳位だろ?とっとと家に帰んねーとこわーい軍に連れてくぞ」

 脅すように両手をあげると、咥えていた煙草の灰がポロッと少年の腕へと落ちる。

「あ、わりぃ。熱くなかったか?」

 ささっと手で払って赤くなってないかを一応確認していると、今度はあははと声を出して笑う。

「大丈夫だよ。お兄さん、いい人みたいだね。……軍の人なの?」
「あぁ……ま、こう見えても一応、な」

 ふぅん。と少しだけ何かを考えた後に、じっと顔を覗き込んで目の前に三本の指を立ててきた。にっこりと笑ったその顔はさっきとは違って何処か艶を込めている。      待て待て待て、こんな子供が?確かにここは夜の街で、ちょっと細い道へと入れば着飾った女たちが自分たちの娼館へと客を誘う為に立っていたりもするが…。
 俺は訝しげにその指の持ち主へと視線を移すと、はぁ、と溜息を吐いた。それをNoと受け取ったのか、少年は一瞬だけ表情を曇らせて不安げにこちらを見遣る。

「異国人は嫌い?」
「いや、そうじゃなくて……」
「高い?20000センズなら?」
「じゃなくて……」
「……男はやっぱ無理?」
「…………」
「そっか。ごめんね、声かけて」

 くるりと背を向けて、夜の街へと消えていきそうなその腕を思わず掴んでしまう。腕と俺を不思議そうに交互に眺めながら、少年は困った様に笑った。

       やべぇ、やっぱ似てる…。







「で?ヤったのか?」

 呆れた様に肩を竦めるブレダに、げほっとむせて短くなった煙草を灰皿へと押し付ける。

「いや……まぁ……その…………なぁ?」

 と最後はただへらっと笑うしか出来ない俺の目の前で、ぱちっと一瞬の火花が散った。「うわっ」と慌てて払いのけると、背後にはいつからそこにいたのか発火布を装着した大佐がにっこりと冷たい笑みで立っている。

「ハボック、貴様軍属でありながら未成年に手を出したのか」

 今にも摩擦が始まりそうなその指をがしっと掴んで、とりあえず精一杯の否定をしても許されるはずだ。

「いや、ちゃんと調べたら成年でしたって。東の方の人間は体格も骨格も俺らと違って……」

 なんて言い訳みたいに叫びながらも、大佐の力が弱まることはない。……ってか、あんた、俺がそんな人間だと思うんですか?と半分泣きそうになりながら問いかければ、ふんっと鼻で笑われた。      あ、ひでぇ。今のはちょっと傷付いた。

「でも珍しいな。ハボが色売り買うなんて」

 メインストリートでちょっと有名なパン屋のベーグルを食べながら、大佐とのやり取りを傍観していたブレダに二人で振り向く。

「ん……まぁ、ちょっとだけワケありで」

 昨日の相手とを思い浮かべながら、笑って誤魔化した。さすがにバカ正直にその理由は云えない。に似てたから興味が湧きました、なんて云ったらあいつを部下に持つブレダからも、特別可愛がってるように見える大佐からも何をされるかわかったもんじゃない。

「シンの国から売られてきたみたいなんスけど……」

 一部分は隠しつつ、再び囲んだ机の周りで雑談の続きを始めると、急に開いた扉の前には大量の書類を抱えた中尉の姿があった。じっとこちらを見つめながら、大佐の机へと向かいその書類を下ろして「大佐」と一言発しただけで、場の雰囲気が一瞬で仕事モードへと変わる。さすがに仮にも女性である中尉の前でこれ以上この話をするのは気が引けるので、俺たちはそれぞれの仕事を片付けるべく机へと向かった。







 ベッドサイドのテーブルに置かれた煙草に手を伸ばして、ちらりと横目でそいつを見れば、ぐったりとして、伏せた睫と少しだけ開いた口がなんともいやらしく感じて、事の後なのに次戦突入といけそうな自分に、あぁ、まだまだ俺も若いなぁなんて考える。キンっと綺麗な金属音を立てて閉じられたジッポに、ぱちりと瞳を開いたそいつは力なく笑ったと思えば「俺にも一本ちょうだい」と手を伸ばしてきた。

      ここは似てねぇな。あいつは吸わない。

 取り出した一本にジッポを持っていけば、軽く振り払うと起き上がって俺の口元に顔を近づけ、移し火で吸い込む。そんな仕草に情事後の慣れみたいなものを感じて、少しだけ良心の呵責が渦巻いた。相手はプロでそんなこと当たり前っちゃあ当たり前なんだが、その歳で、しかも異国の地で、そうせざるをえない状況になっているのは何とも……云い難い。

「今更訊くのも何だけど、名前は?」

 じっと顔を見た後に、くすくすと笑いながら、そいつは横を向いて煙を吐き出した。

「……
「な、」
「……って好きな人?」

 柔らかい笑みを絶やすことなく「最後、無意識だろうけどその人の名前呼んでたから」と何でもない事みたいにさらりと云ったその表情は、少しだけがたまに見せる憂いのある自虐的な顔に似ていて、ちくり、と胸が痛んだ。俺はなんて莫迦なんだろう。

「……わりぃ」
「何で謝るの?全然いいよ」

       だって俺、身体売って金貰うんだよ。名前なんて気にしない。そう笑う表情は、やっぱり何処か淋しげで儚くて。

「でもその人倖せだね。軍人さんみたいな優しい人に好かれて」
「ん……どうかな?」

 そうだよ。と笑うそいつに少しだけ癒されながら、財布から取り出したありったけの46000センズを渡すと、眉根を寄せて怪訝そうに一瞥される。

「20000でいいって最初に云ったけど?」
「ああ、でも……」
「なに?見下してんの?」
「違う、そうじゃなくて……」

 あぁ、やっぱり何処まで行っても莫迦は莫迦。自分の頭の悪さに嫌気がさす。こんな時、頭の切れるあの上官ならきっとうまく云えるんだろう。声にならない声で下を向いて頭を掻けば、隣から小さな溜息の後に笑い声が聞こえてきた。

「こういうの慣れてなくて、わりぃ。なんて云うか……」
「軍人さん、名前なんていうの?」
「は?」
「名前」

 口元の煙草を取り上げると灰皿へと押し付けて、俺の顔を覗き込む。黒に近いその瞳は、けれどよく見ればのそれよりも少しだけ淡い。

「……ジャン」
「そう。なら、ジャン」

 渡した金をテーブルへと置くと、重なるように深いキスが降ってくる。何度も何度も角度を変えて貪るように互いを求めあうと、潤んだその瞳に蒼の空が映った気がした。

「二回目の俺を買う?」

 誘う様にあがる口元に、今度は優しく触れるだけのキスを落とす。

「お前の名前は?」

 滑らかな肌をなぞりながら耳元で囁けば、更なる甘い声を出し「俺の名前なんて      」と云いかけて、そいつは微笑んだ。
 それは、それは、妖艶に。

、だよ」




      名の値


         悪いと思いながらも
         その名の向こうに見えるのは
         他の誰でもなく、ただひとり。

         伝えることの出来ない気持ちを
         吐き出すように、俺は求め続けた。





 →夢跡。


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