秘メ事
夜になって降り出した雨は時間と共に激しさを増していった。地を打つ大粒は至る所に水溜りを作りながら、その行き場を探している。傘を差してはいるものの足元はすでに水を含んでいて、袴の裾に広がった滲みをちらりと見遣ると、はやはり自分が来て良かったと思考を巡らせた。
万事屋の黒電話が鳴ったのは夜九つの少し前だった。珍しく仕事が入ったその日、銀時は新八を連れて人探しに出かけたのだが思いのほか早くに見つかり報酬もそれなりとくれば、向かう先は右手の遊戯か酒の席と彼の相場は決まっている。今日は後者のようで、受話器の向こうからは心底困った新八と完全に出来上がっている銀時の声が交互に聞こえてきた。
「ええ、わかります。はい、では今から向かいますので」
チン、と小気味良い音を立てて置かれた受話器の後ろで、眠い目をこすりながら神楽は「今の銀ちゃんと新八からアルか?」と大きな欠伸をする。
「はい。銀さんが相当酔っているみたいなので傘を持って迎えに来てほしいと」
「仕方ない駄目大人アル」
「仕事がうまくいって嬉しかったんですよ、きっと」
「は甘ちゃんネ。もっと厳しく躾けないとペットは言うこと聞かないヨ」
困ったように笑うにテレビで仕入れた躾の方法を語りながら、神楽は玄関へ向かう。
「早く行って帰って寝るヨ。夜更かしは乙女の敵アル」
「いえ、神楽さんは先に休んでいて下さい。雨も激しくなるばかりですし、こんな刻に女子が外に出て何かあっては困ります」
そんなやり取りをして今に至るのだ。
目的の店まで来ると、新八に引きずられながらも「まだ飲むぞ」と叫ぶ銀時がいた。勘定を済ませて店を出ると、先程よりは少しだけ弱くなった雨が、それでも大きな音を立てて傘へと落ちてくる。新八が肩を貸し、その後ろからが傘を差し出す形で歩き始めると、数分経ったところでスナックすまいるが見えてきた。
「お妙さんは大丈夫ですかね?こんな雨で」
「平気ですよ。お店の人が送ってくれるみたいですから」
「そうですか、それなら安心ですね」
「ん?次は新八の姉ちゃんの店で飲もうってか。よっしゃ、今夜の銀さんは通常の三倍だ!赤い彗星だ!」
「ちょ、銀さん!意味わかんないし。大体、大佐そんな泥酔しないし!」
すでに店の中へと消えていった銀時に、新八と翼は顔を見合わせると大きな溜息を吐いた。
店に入ると銀時はテーブルへと座り、酒を注文した。新八に気付いたお妙の同僚が「新八くん、おいで」と腕を引く。困ったようにちらりとを見遣ると、はは、と乾いた笑いがどちらともなく零れた。
「新八さん、私は外で待っていますね」
「え?さん、ちょっと……」
やんわりと肩を押さえて新八を座らせると、その耳元で「入った手前、一杯くらいは飲まないとお店にも悪いし、銀さんもあの通りですし」とは笑った。
新八の止める声に気付かないフリをして店の外に出たは、軒下に入ると小さく深呼吸をした。元々、悪所の類はあまり慣れていないのだ。
辺りを見渡すと夜も遅いというのに煌びやかな光が厚い雨雲に覆われた空まで続き、の居た世界の様な夜の闇は何処にも見当たらない。
(原田さんや永倉さんが居たら、きっと大騒ぎで朝まで飲むんだろうなぁ)
思い出して小さく笑うと同時に、少しだけちくりと痛んだ胸を隠すように合わせをきゅっと握った。
店の前に人が出てきた気配に顔を上げると、そこには真選組の局長、近藤勲がいた。いつも彼らが着ている洋装の隊服ではなく、この町でものいた世界でもごく一般的に見かける服装だった為、近藤だと認識するのに間が空いてしまう。
「あ、万事屋の……」
「こんばんは、近藤さん」
「あぁ……こんばんは。何やってんの?」
「人を待っているんです」
ふぅん、と思考を一巡したところで、はっと気付いたように訝しげに見つめてくるその瞳に、は慌てて首を振った。
「いえ、お妙さんではなくて、銀さんと新八さんが中に」
以前、新八に近藤は自分の姉に惚れているのだと聞いたことがある。その想いは尋常ならぬ程強く、困っているのだと。近藤ほどの男がそこまで見初めているのなら何故嫁に貰わないのか、不思議に思ったものの、この世界の男と女の在り方が自分の世界の在り方と同じとも云えないのだと気付き、そのままその話は終えてしまった。
「あ、そっか。中に居たんだ?気付かなかったなぁ。って、いや、別に疑ったわけじゃないんだよ、うん」
一人で百面相をしている近藤に、くすりと思わず笑みが零れる。
比べてはどちらにも失礼だと思いながらも、つい、記憶の中の人たちと重ねて見てしまうときがあった。そして、そう思うときは大概、似ているかもしれないと感じるのだ。それは己の願望ではないのかとその都度は自分を戒めるのだが、一度溢れた気持ちは簡単には蓋を出来ず、何とも云えない感情の行き場に困ってはそれを繰り返している。
「変なトコ、見られちまったなぁ」と頭を掻く近藤を無意識にじっと見ていると、交わった視線にとくりと心臓が跳ねた気がした。
「……そ、れじゃあ」
「近藤さん、傘は?」
「え、あ、来るときは降ってなかったからなぁ。戻って借りるか」
「よろしければどうぞ」
は自分の持っていた傘を差し出す。
「いいの?」
「はい。近藤さんに風邪をひかれては困ります」
にこりと笑うの姿に、近藤は一瞬見入って呆けると、すぐに我を思い出し「いやいや」と首を振った。
「別に君が困ることはないんじゃない?」
俺なんかが風邪ひいたって、と近藤が続けると、今度はがきょとんとした表情で小首を傾げる。
地面に出来た水溜りの中には彩とりどりの電飾が反射して、それを掻き消すように空からの雫は降り落ちていた。普段は賑やかなはずのこの花街も今夜のこの雨の所為か人の姿は見当たらず、いつもなら数人は外にいるであろう店の人間たちも今は誰一人としていない。近藤と、この二人だけが雨に囚われてしまったかのようにそこに在った。
「あ……」
そうか、とは俯いた。よくよく考えればこの近藤とはそこまでの接点がないのだ。がまだこちらへ来たばかりの頃に一度世話になったくらいで、その後は見かけることはあっても言葉を交わすことはなく、ただ一方的にが姿を追いかけるだけ。そんな自分が必要以上に構うのは、やはりおかしなことなのだろう……けれど。
ちらり、と近藤の顔を見上げると、慌てて視線を外される。
(私の大好きな近藤さんとは全く別の近藤さん、なんだけどなぁ……)
どうしてか気になるのだ。初めに追っていた影は確かに近藤勇のそれだったはずなのに。
今はまだはっきりとはしないその気持ちを無理矢理押し込めると、は肩の力を抜いて言葉を放った。
「近藤さんには先日お世話になりましたし、そのお礼です。それに 」
外された視線の先を覗き込んで近藤の瞳をしっかりと捉えると、心からの素直な笑顔が零れる。
「やっぱり困ります。心配、なので」
「……あ、じゃあ……うん、お言葉に甘えて、借りよう……かな」
「はい」
どこか嬉しそうなの返事を聞きながら、近藤は受け取った傘を開くと雨の中へと一歩踏み出した。
先程、急に上目遣いで自分を見てきたに頬が紅くなった気がして、慌てて視線を逸らした自分は何だったんだろうと回らない頭で考える。しかも自分のことが「心配だ」と。
お妙に逢えた嬉しさ以上に落ち着かない、心の乱れる音が雨に紛れた。
「あの、さ」
振り返って向き合えば、傘を伝って落ちる雫が邪魔をして二人に僅かな距離が出来る。その距離が全く嫌ではなく、寧ろ心地良いとさえ感じていたのはも近藤も同じだった。
「ありがとね」
「いえ。気をつけてお帰り下さいね、近藤さん」
「……うん」
今度こそ帰路に着くために歩き出した近藤は、酒が急に回ってきたかな、と火照る頬を掌で仰ぎながら、上がってしまう口角を隠すことなく花街を後にした。
「お待たせしました、さん。ほら、銀さん、帰りますよ」
入れ代わりで出てきた新八と銀時に「はい」と返事をしたは、その手元に傘がないことに気付いた新八に云われるまで、妙に上機嫌で、近藤の背中が去っていった雨の中を見続けていた。
110622
(ちょっとなんか説明くさい文章だなーと思いつつ
リハビリ的なぬるい目で見てやってください(笑)
近藤さんと何でもない会話をしたかったのだ!